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「最期をどこで迎えるか」〜人生会議(ACP)と在宅医療の現場から〜

  • 執筆者の写真: 賢一 内田
    賢一 内田
  • 2 日前
  • 読了時間: 3分


2014年、厚生労働省が「ACP(Advance Care Planning:アドバンス・ケア・プランニング)」という概念を提唱しました。日本では「人生会議」という言葉でも知られています。これは、「人生の最期をどこで、どのように過ごしたいか」を、本人・家族・医療者などが事前に話し合っておく取り組みです。

この取り組みの中で、「最期は自宅で過ごしたい」と希望する人が、6割以上にのぼるという調査結果があります。私の印象としては、「そんなに多いのか」ではなく、「意外と少ないのでは?」というものでした。

多くの方が、最期を病院で迎える選択をしているのは、おそらく「家族に迷惑をかけたくない」という気持ちや、社会的な配慮が背景にあるのだと思います。

「本人の希望」だけでは叶わない現実

ACPは「誰と行うべきか?」という問いに、真っ先に「本人に決まっている」と答える方も多いでしょう。しかし、ある研究(Japanese Journal of Primary Care, 2005)では、在宅死を可能にした最大の要因は、「家族が在宅死を受け入れたかどうか」だったという結果が示されています。一方で、病名告知や経済的困窮は、意外にも在宅死の実現には大きく関係しなかったそうです。

つまり、「人はひとりで生きているのではない」という現実を、最期の選択でも見過ごすことはできないのです。家族や周囲との対話のプロセスがなければ、本来の本人の意思決定も難しいということを、日々の在宅診療のなかで強く感じます。

現場で出会ったある患者さんの言葉

私が急性期病院で勤務していた頃、40代前半で直腸がんを患い、脊髄転移によって急速に四肢麻痺・呼吸不全に至った患者さんがいました。緊急で脊髄除圧術を行いましたが、術後も人工呼吸器を外すことはできず、ご本人はこう語っていました。

「帰りたいけど、家族の負担を考えると難しいかな」

そのとき、私は医師としてこう返しました。

「一度帰ってみて、もし大変だったらまた病院に戻ればいいですよ」

今思えば、あのときの「まずは一度帰る」という選択は、決して間違っていなかったと感じています。無理をしない範囲で、“帰ってみる”という選択肢があってもいいのです。そして、もし難しければ、そのときまた別の選択肢を一緒に考えればよいのです。

人生の最期くらい、自分らしいわがままが、少しは許されるべきだと思っています。

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